『竹取物語』のあらすじと奈良県広陵町との関係について
[2022年8月16日]
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岩波文庫や新潮文庫など、多くの『竹取物語』に関する出版において、かぐや姫の育ての親である竹取の翁、つまり讃岐造(さぬきのみやつこ)は現在の奈良県広陵町に拠点を置く豪族であったと注釈されています。そのため、広陵町は「かぐや姫のふるさと」として全国的に知られることになりました。
このページでは、そんな『竹取物語』のかぐや姫と広陵町との関係についてご紹介します。
『竹取物語』考察:冒頭~「竹取の翁」はどう描かれているか?~
『竹取物語』考察:なぜ広陵町が「かぐや姫のふるさと」とされるのか?
『竹取物語』考察:かぐや姫の故郷を奈良県広陵町と推定したのは誰か?
作者不詳の最古の小説 『竹取物語』。
その成り立ちや、そこに描かれる登場人物、時代背景、地理的背景、この物語の舞台が現在の奈良県広陵町周辺をモデルとしているとされる理由を解説します。
『竹取物語』 に似た口伝物語は日本全国に散らばっています。
そうした物語を参考に「作者」によって取りまとめられたと考えられる 『竹取物語』とはどんな物語なのでしょうか。
『竹取物語』は日本最古の文学です。
作者は不明ですが、「わざと匿名にした」とか、「政治的意図にもとづいて物語をまとめた」とか、さまざまな説があります。
しかし、『竹取物語』が古くから伝わる話をもとに、まとめられたことは確かでしょう。
なぜなら『竹取物語』のヒロインである「かぐや姫」については、そのモデルとなったらしき人物が、記録に見られるからです。
それは、まだ日本が統一されてなかったころ、各地で力をもったリーダーたちが、お互いの力をきそいあっていた、はるか昔のことでした。
伝説によると葛城(今の広陵町のあたり)の「王朝」と呼ばれる一族の娘「迦具夜比売(かぐやひめ)」は当時、強大な力をつけていた大和王朝の大王からの求婚をこばみ自害したということです。大和王朝は、比売(ひめ)の一族である葛城王朝を倒して、勢力を拡大していたのです。
そういう「敵」である王朝に嫁ぐことは、比売にとって耐えられない屈辱だったのでしょうか。「かぐや姫」=「かがやくばかりに美しい」という名をもった比売は、自ら死を選ぶことで、抵抗の意思を見せたかったのかもしれません。
「かぐや姫」の名は、伝説の中にうずもれていきました。
時代はめぐり、おそらく平安時代の初期だと思われますが、とある人物が、この「かぐや姫伝説」をもとにして、ひとつの「物語」を書き上げます。その物語が『竹取物語』です。
『竹取物語』の中に登場する人物の中には奈良時代に実在した、何人かの名が見えます。『竹取物語』の作者は、それらの人物を、「ずるくて卑怯で小心者」とえがくことによって、それらの人物への糾弾に変えたのでしょう。
『竹取物語』の匿名の作者の意図は、定かではありません。
だが、彼(もしくは彼女?)が、その素材として葛城の伝説を選んだ理由は、「迦具夜比売」の存在が、「けがれなく美しい、そして権力にこびない強さ」をもっていたというイメージで、当時の人々の心に、きざまれていたからでしょう。
では、その『竹取物語』の、はじまりです。
昔々、あるところに老夫婦がおりました。
彼らには子どもはなく、夫は竹を切り出して、それを売ることで生活をたてていました。
さみしい暮らしではありましたが、夫婦はまじめに日々をおくっていました。
そんな、ある日のこと、黄金色に光り輝く竹を見つけて、切ったところ、中から光り輝く小さな女の子があらわれたのです。
「子どものいない私たちに天がさずけてくださったのだ」とよろこんだ夫婦は、「光り輝く女の子」を「かぐや姫」と名づけて育てることにしました。
それから後も竹を切れば、その中から黄金がザクザク出てきて、貧しかった「竹取の翁(おきな)」は大金持ちになりました。
「かぐや姫」は普通なら考えられない早さでスクスクと育って、あっというまに年頃の娘になりました。
「かぐや姫も黄金も、天から与えていただいたもの」として夫婦は感謝の心を忘れません。
黄金のおかげで、立派な家を建てかぐや姫を大切に見守って暮らすことが夫婦の生きがいになりました。
それにしても、かぐや姫はこの世のものとは思えない美しさをもっていたのです。
かぐや姫の美しさは、国中の評判になりいろんな人が「かぐや姫にあいたい」と、たずねるようになりました。
「そんな美しい人ならば、ぜひわたしの妻に」と願って毎日のように貴公子たちがやってきます。
ところが、かぐや姫はだれの求婚にも、うなずきません。こうなるとよけいに貴公子たちは「我こそは」と意欲を燃やし、あいかわらず求婚しつづけます。
かぐや姫は、「それでは、私のほしいものを、もってきて下さった方となら結婚します」と五人の貴公子たちに条件を出しました。
かぐや姫の「欲しいもの」は、この世になさそうなものばかりでしたが…。
五人の貴公子たちは、なんとかそれらを手に入れようと大金をつかったり、にせものをつくらせたりしたのですが…。
失敗をしたり、偽物を見破られたりして、ことごとく挫折してしまいました。
(セリフ)
石作皇子(いしつくりのみこ):仏の石の鉢?天竺(インド)まで行って、それをさがして来い…と?
阿部御主人(あべのみむらじ):唐土(中国)にいる火鼠の皮ごろもを…。
大伴大納言(おおともだいなごん):龍の首の五色の珠?。
車持皇子(くらもちのみこ):東の海にある蓬莱山(ほうらいさん)の玉の枝?
石上麻呂(いそのかみのまろ):燕のもっている子安貝(こやすがい)?
「やはり不可能を可能にするだけの情熱と信念のもち主はいないのね」とばかりかぐや姫は、だれとも結婚せずただ、しずかに日々を送って暮らしていました。
かぐや姫を育てた竹取の翁夫婦は、そんなかぐやの様子を見て「さみしいのではないか、自分たちが死んだら一人ぼっちになってしまう」と、それなりに心配していましたが、かぐや姫は、この世の常識というものにとらわれない存在として生きているようでした。
貴公子たちを無理難題ではねつけたかぐや姫に会いたいとついに天皇が訪れます。天皇に顔をみせまいとするかぐや姫のすきをついて、天皇は、かぐや姫の美しい顔をみてしまいます。ずるくて卑怯な、小心者でたよりない例の貴公子たちとちがって、さすが天皇は、ひと味ちがいます。やがて、かぐや姫と天皇は、「知的な会話をかわせる親友どうし」として、仲良くなっていきます。
このまま平和な日々がつづくかと思われましたが、ある時期から、かぐや姫は月を見ては、もの思いに沈む日がつづくようになりました。
日に日に満ちていく月を見ては、さみしそうに涙を流すようになり、心配する竹取の翁夫婦にうちあけたのです。「これまでわたしを育ててくださってありがとうございました。あの月が満ちたら、わたしは月へ帰ります。わたしは、この地上の人間ではないのです」
かぐや姫を月にかえしたくない夫婦は、天皇に打ち明け、月からの迎えを追いかえそうと準備をします。
満月の夜、天皇の軍勢は、竹取の翁の家を守ろうとしますが、月からの迎えは神々しく光り輝いて人間の力で追いかえすことはできませんでした。
ついに、かぐや姫は月へ帰っていきます。この世の人々に、「権力や地位がおよばない存在があるのだ」という思いを残して…。
「竹取物語」の作者は、かぐや姫に拒否される貴公子たちを実在の人物を思わせる名で書いています。彼らはすべて奈良朝で政治的実権を握っていたエリートたちです。
「ものがたり」によせて、作者は、実は、反政府メッセージを、まとめたのでしょうか?本心は解りません。しかし、かぐや姫という存在をとおして「権力に左右されない絶対的な清らかさと美しさ」の確かさを、えがこうとしたその意示は、その後も長く日本人の心に、強く印象を与え続けているのです。
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