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観光 巣山古墳概要

[2009年5月28日]

ID:28

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古墳

特別史跡 巣山古墳 出島状遺構

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出島状遺構

はじめに
 奈良盆地の西部にある馬見丘陵には、4・5世紀に造られた大型古墳が多く、馬見古墳群と呼ばれています。なかでも巣山古墳は最大級の古墳で、周辺の新木山古墳(陵墓参考地)とともに丘陵中央部に集中する古墳群の中核をなし、昭和27年には国の特別史跡に指定されています。周濠が農業用溜池として利用されており、水位変動や波によって墳丘と外堤の裾が大きく削り取られ、埴輪列が露出していました。
 このため、史跡整備と発掘調査を平成12年度から継続して進めています。第1次調査では当初の墳丘規模が、全長約220メートル、後円部の径約130メートル、高さ約19メートル、前方部先端の幅約112メートル、高さ約16.5メートルであることが判明しました。第2次調査では前方部北西隅から墳丘完成時に行われた祭祀に係わる木製鋤、周濠の北西隅では古墳に邪気が入り込まないように結界として立てられた靫形木製品が出土しました。第3・4次調査は整備事業として行った周濠泥土の浚渫工事中に発見した出島状遺構の調査を行いました。

遺構の概要
 前方部の西側ほぼ中央部で墳丘から周濠へ張り出す出島状遺構は、高さ約1.5メートル程あり2段で築かれ、葺石を施しています。基底部で南北約16メートル、東西約 12メートル、上端で南北約11.5メートル、東西約7メートルを計測します。出島の東側は方形で、東辺(墳丘側)から南辺及び北辺へは直角に西方向に延び、南辺から南西方向、北辺から北西方向に突出部を設けています。南西突出部は幅約3メートル、長さ約4メートル、北西突出部は幅約3メートル、長さ約3メートルを測ります。突出部先端から続く石積みは、西辺の石敷きに結合させます。石敷きは幅約2.6メートル、長さ約8メートルで、州浜状に拳大の礫を敷き、他の辺より傾斜角度を緩くしています。出島状遺構の南東隅には大型で平板な石を立て、葺石傾斜角度を緩やかにし、西へ直線的に進み、突出部の基部で南西方向に大きく屈曲させ、先端部にも石を立てています。北東隅でも倒れた平板な石を確認しており、北辺へ葺石傾斜角度を緩やかにして西進し、突出部基部で大きく北西に屈曲させています。東辺には墳丘へ連絡する渡り土手があり、墳丘第一段テラスより約2メートル程低い位置から、上幅約2メートル、基底部幅約5メートル、長さ5メートル程残っています。渡り土手斜面には、出島状遺構の東辺から連続して葺石が葺かれ、前方部の墳丘葺石とは界石列を設け区別します。頂上部は蓮の根などにより撹乱されていましたが、石英の白礫を敷き詰め、形象埴輪を配していたと考えられます。
 周濠は丘陵を大きく掘り込むことから、出島状遺構は当初から地山を削り出して造られと考えられ、渡り土手の取り付き位置を前方部3段目の前面前端に合わせることも計画的に築かれた証となります。
 また、州浜状の石敷きの西側には直径約4メートルと3メートルの連続する円形の石積みが築かれていました。

遺物の出土状態
 本来、出島状遺構の頂上部平坦面に配列されていたと考えられる形象埴輪が数多く出土しました。原位置を保つものはありませんが、蓋形7点、家形7点、盾形3点、水鳥3点、囲形4点、柵形10点以上が出土しています。蓋形埴輪の傘部には四方に張り出す肋木飾りがあります。家は切妻、入母屋、高床があり、このほかに小型の家で囲形の中に入れ、配置されたと考えられるものが2点あります。水鳥は出島状遺構の南西突出部付近に置かれたと考えられ、頭部がまとまって出土し、周辺に胴、翼の破片が集中していました。平たい嘴をもつ雁鴨類を模したと考えられ、大きさが異なることから雌雄と子を表現したと思われます。囲形埴輪は平面が鉤形で入口を表現する鉤の手を右に置き、上端部に山形突起を設けています。柵形は出島状遺構の西側頂上部から転落した状況で検出されています。

まとめ
 巣山古墳は、大王の墓域が佐紀から河内へ移動する時期に築かれた前方後円墳で、大阪府藤井寺市の津堂城山古墳とほぼ同時期と考えられ、周濠内に島状遺構を設け、水鳥形埴輪を配する点は非常によく似ています。墳丘から渡り土手を設け、出島状遺構に蓋、家等の埴輪を置き、王の居館を埴輪によって再現するところは、三重県松阪市宝塚1号墳の埴輪配列にも共通するものと考えられます。出島状遺構の埴輪は、外堤から臨場感をもって眺められることから、王の威厳を埴輪で表現し、広範に人々に見せる場所であった可能性もあります。
 また、前方部に設けられた出島状遺構の祭祀は、造り出しで行われる祭祀とは異なると考えられ、出島状遺構の突出部や立石が三重県上野市城之越遺跡に酷似することから、外堤から途切れることなく湧き出す水を神聖視し、首長が司る水に関わる祭祀を表現しているのかもしれません。大王墓に匹敵する巣山古墳で執行された様々な祭祀は、古墳祭祀を考える上で極めて重要な資料であるといえます。

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